この連載の第4回で日本語における外来語(といっても漢語には触れず、いわゆるカタカナ語)の話をし、その最後に、ケベック州におけるフランス語を守る言語法にも触れた。そうした背景もあって、ケベックの学生は日本人が英語起源のカタカナ語をかくも多用するのに一様に驚く。そしてニヤリと「先生、日本語は外来語に寛容すぎませんか?」と言ってくる。毎年のことだ。今回は「言語の外来語に対する寛容度」を取り上げてみよう。かくして外来語シリーズ、2回目である。
目次
日本人の外来語好き
和語37%! 漢語47%! カタカナ語10%!
日本人が外来語好きなのはどう見ても明らかだ。これに関する統計データを拾ってみると、日常使われる語彙の中で、和語(大和言葉)はあろうことか既に半数を割っている。かなり古いが1962年に国立国語研究所が60種類の雑誌、総語数41万語あまりを対象に行った統計では和語37%、漢語47%、西洋語起源のいわゆるカタカナ語10%、残り6%が「消しゴム」と言った混成語となっている(数字は概数)。ただしこれらの数字は、一回のみの使用も極めて多くの使用も、ともに一語と数える、いわゆる「異なり数」であるが。前回お話した「外来語」は(特に英語起源の)カタカナ語に限ったが、導入がそれよりずっと早かった「漢語」もやはり定義上は外来語には違いない。勿論その一部には明治期の西洋文明の導入に当って日本人が作った漢語もあり、これらの多くが、清朝末期以来欧米よりも日本に多数やってきた中国人留学生によって、中国に逆輸出されたことは有名だが、これらとて「大和言葉」とみなすことは出来ない。
過半数が外来語のもう一つの言語
その言葉に昔からある「固有語」が何と語彙の半分以下!!フランス語や中国語ではこういう状況は考えられないことである。では、日本語は「外国語に対する寛容さ」という点で、それほど特殊なのだろうか。答えは否である。実は、日本語にとてもよく似た状況の言葉があるのだ。つまり、日常語に占める固有語の割合が半分以下で、過半数は外来語という言葉である。果たしてどんな言語だろうか。我々の身近な言葉でそうした例があるだろうか。
英語も半分以上は外来語
外来語の原型を保つ英語、日本語化する日本語
驚くなかれ、それは英語である。ただし英語の場合は、外来語の大半がラテン語やフランス語から来ているので、前号でお話した日本語の表記上「差別化」がなされず、その分目立たない違いはある。それから、日本語の場合は全く系統上の他人である中国語や西洋語からの借用だが、英語とラテン語やフランス語は他人ではない。系統的には英語はフランス語のいとこ。そしてフランス語はラテン語の娘(の一人)だから、英語にとってラテン語はおばさんに当る。英語の母親であるゲルマン祖語とラテン語は姉妹同士で、そのまた母親がインド・ヨーロッパ祖語というわけだ。ただし、この家系図は言語を女性とみなした女系家族で、父親も夫婦も存在しないことを念の為に言っておこう。
他人からの借用だから、と日本語は外来語を遠慮なく語形も発音も表記も「日本語化」してしまうが、いとこやおばさんに義理を感じるものか、英語の方はスペルも発音も原形を保とうと努力している様に見えて、笑ってしまう。言語を女性に例えたのは仏語で言語、言葉(langue)が女性名詞であるからにすぎない。また「外来語」とほぼ同意で「借用語」(loanwords)という言葉もあるが、「借りた」言葉が「返された」例はないね、と学者がよくジョークを言っている。
天気については喋れなくても、国際紛争については理解できる
ケベック州の田舎道で人の良さそうな中年のおじさんに会ったとする。早口の英語で話しかけてみよう。話題は、天気はどうかとか道を尋ねるとか簡単なことである。そうすると、半分ぐらいの確率で「悪いね。英語が出来なくて」とフランス語で答えると思う。それでも、日本や、またカナダの英語州で仏語を話しかけた場合を比べると、そういう答の率はずっと低いに違いないが。さて、英語は話せないことが確認出来たら、今度は同じおじさんに、下の文を書いた紙をおもむろに見せてみよう。
すると、あら不思議。天気のことが流暢に話せなかったおじさんが、この一見偉そうで難解な文がスラスラと分かってしまうではないか。これは一体どうことだろうか。答えは簡単。この文中で大文字で書いた部分(つまり殆どの語)は全てフランス語から英語に入ったものだからである。詳しく言うとこの内、副詞の「ABSOLUTELY」の接尾辞、-lyだけはゲルマン諸語のもので、英語の「~に似た」のLIKEと同源である(ドイツ語では-lich)。仏語ではここが 副詞語尾の-MENTとなる。文中の重要語彙の違いがこの程度ならおじさんがこの英文を理解出来るのは当り前なのだ。上の大文字の語に当るフランス語の単語をその順で列挙すると、
知的語彙と基礎語彙
こういった英仏共通の語彙は、いわゆる「知的語彙」に多く、日本語の外来語に対する防衛機能で前回挙げた「基礎語彙」のレベルでは、仏語起源の単語はぐっと少なくなる。(だからおじさんは天気が説明出来ない)さて、既にお気づきと思うが、語彙の上で、英語に対するフランス語の関係はちょうど日本語に対する中国語の関係に似ている。中国語は話せないが、中国語の新聞は大体分かる日本人と、上のおじさんの例はよく似ているのである。上の文を試しに和訳してみると
日本語教室の上級になればなるほど漢語の語彙が増えるから、カナダの白人学生が青息吐息となる一方で、漢字文化圏からの学生はかえって楽になってしまう。朝鮮語にも漢語は多く入っていて、日本人の学習者が大いに助かるのも同じ語彙上の理由である。
庶民は英語、王侯貴族は仏語
では、何故これほど英語にフランス語の語彙が入ったのだろうか。その理由は戦争である。世界史の受験勉強を思い出して戴きたい。王位継承問題が原因で、イギリスにフランスのノルマン王朝が攻め込み、これを征服したのが1066年である。(昔々「とろろ食べ、イギリス攻めろ、ノルマン公」などと語呂合わせで年号を覚えたものである。ああ懐かしの受験地獄!)そして、覇者ノルマン公ウィリアム(フランス名はギョーム)はイングランド王となった。以後約三世紀の間、英国では庶民は英語、王侯貴族は仏語(彼等が書く正式書類はラテン語)という言語体制が続いたのであった。これに関する面白いエピソードとしてよく引用されるのが家畜の名前である。農家が育て生きている間はピッグやカウやオックスなのに、料理されて上流階級が食べる時には仏語でポーク、ビーフなどと呼ばれた名残で、いまだに語彙が共存している。仏語の方は、生きていようが死んでいようが「porc」「 boeuf」 と現在でも単語は一つづつしかない。
そこで「英単語の使用(アングリシスム)にいちいち目くじらを立てるよりも、長い目で歴史を見なさい」と私はケベックの学生にやんわりと忠告するのである。歴史的に見ると、英仏両語間のバランスシートは比較にならぬ程、英語側が「入超」であるからだ。まあ、少しは逆方向も、いいんじゃない、と言うと、学生達は(頭は掻かないが)苦笑いしている。こっちの意見ははっきり言ってやった方が学生は喜ぶのだ。ましてや歴史を踏まえた合理的な意見なのだから。
固有語と外来語の共存
外来語が入っても固有語は残る
さて、最後に固有語と外来語の「共存」について、面白い現象があるので、そのお話をして終りたい。例えば上の偉そうな文で言えば英語には「理解」の意味で仏語起源のCOMPREHENSIONも確かにあるが、固有語のUNDERSTANDINGもしっかり残っている。日本語なら、たとえば「御飯」(漢語)があって「めし」(和語)があってさらに「ライス」(英語起源のカタカナ語)まである例を考えよう。つまり、外来語が入ってもそれで自動的に固有語は「お役御免」とならないケースがあるということだ。「錯覚と言えば聞きよい勘違い」とか「失念と言い許される物忘れ」などという川柳が笑えるのもこのせいである。
感性の固有語、知性の外来語
「共存」するのは「役」がまだ残っているからである。その辺りを見事に説明して見せた書が渡部昇一の「日本語のこころ」(講談社現代新書)。関心のある方には是非一読をお勧めしたい。彼の主張は一言でまとめると「その言語に固有の語彙は、心にしみる感性の世界を代表し、外来語は理知的な知性を代表する傾向が強い」ということになる。
その例として挙げられるものに、万葉集以来伝統的には和語(大和言葉)のみが使われてきた和歌がある。それは「天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」(古今集かな序)る力である「言霊」を担っているのは第一に和語であったからだ。近年人気のある歌人俵万智の「サラダ日記」など読むと、その題名を始めとして「グリンのセーター」とか「女子中学生の残酷揺れる通勤電車」とか漢語やカタカナ語がふんだんに出てくるが、意表をつく真新しさはあるものの、例えば老いゆく夫鉄幹の姿を「しら刃もてわれに迫りしけはしさの消えゆく人をあはれと思ふ」などと謳い上げた与謝野晶子などととても同列には置けない様な気がする。
渡部はこの他に演歌やフォークソング、民謡など日本人の心にしみこむ様な歌詞には圧倒的に和語が多いことを指摘する。それに対して軍歌(例えば「愛国行進曲」に見える「東海・旭日・天地・生気・希望」)とか旧制高校の校歌や寮歌(例えば「一高寮歌」の「玉杯・緑酒・治安・栄華・健児・意気」)に漢語が極めて多いのは、気持ちが上昇、外向き志向になった時の、エリート意識と野心に満ちた精神の表れと鋭く分析している。成程、そうでなければ、耳で聞いただけでは意味がさっぱり分からないこんな歌を、男どもが肩を組んで高歌放吟する筈がない。ここには明らかに、どこかに人を見下した高慢さが見てとれる。そして、敗戦後流行った最初の歌があのやさしい「赤いりんごに唇よせて」という題も歌詞も和語の「りんごの歌」だった事実を、渡部は日本人の心の内向した結果と見ているのだ。
さらに、渡部によれば、英語にも同じような固有語と外来語の機能分担がある。上の英文は「知的文章」だから仏語が出てくるので、フォークソングの歌詞には外来語の陰は薄い。以下は一頃前にメリー・ホプキンスが歌ってヒットした「Those were the days」(日本語題「悲しき天使」)の一部である。
Those were the daysの一部
Those were the days, my friend.
We thought they’d never end.
We’d sing and dance forever and a day.
We’d live the life we choose, we’d fight and never lose.
For we were young and sure to have our way.歌詞:Paul McCartney
歌 :Mary Hopkin
成程、ここでの外来語は最終行の「sure」(仏語の「sur(e)」より)の一語しかない。それも既に外来語としては感じられないごくありふれた単語である。やはり英語話者も、気持ちが内向した感性の世界ではゲルマン語彙を使うということだろう。この世界と、日本の大和言葉の世界とは、どこか底の方で繋がっているものに違いない。
(1996年3月)