第8回 モントリオールはクロワッサン:蛇と和語と太古の祖先のご慧眼

今回お話したいのは「古代日本の蛇信仰」である。それを出発点に古代日本人の生命力やエロスのイメージを表したと思われる大和言葉を追ってみる。「モントリオールはクロワッサン」というタイトルの意味は最後の最後に分かる仕掛けなので、どうかお付き合い願いたい。

日本人と蛇信仰

古代からの蛇信仰

三輪山と箸墓古墳 by Sha-shin4:ウィキメディアコモンズ より転載

日本には古代から蛇信仰があることはよく知られている。縄文土器の縁や把手に無数の蛇が描かれているし、そもそも縄文の「縄(なわ)」そのものが蛇の表現かも知れない。俳句の季語(夏)にもなっている「くちなは」は蛇のことで「朽ち縄」から来ている。

因みに沖縄の首里方言で「へび」に当たる言葉が「はぶ」である。柳田国男は「山宮考」の中で山から神を迎える風習があることを考察しているが、全国には山そのものを御神体とした神社も多く、それらを「神(かむ)なび山」とか「みむろ」と呼ぶ。

その代表例が大和の三輪山(みわやま)で、三輪山と言えば万葉集の「うまざけ 三輪の山」で始まる額田王の歌(巻一・一七)が有名だが、この三輪という名前そのものが蛇がとぐろを巻いている様子だ。因みに三輪の祭神オホモノヌシは蛇体で、水の神である。

長歌

うまさけ みわのやま あをによしならのやまの やまのまにいかくるまで みちのくまいさかるまでに つばらにもみつつゆかんを しばしばも みさけむやまを こころなくくもの かくさふべしや

反歌

みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらなむ かくさふべしや

万葉集 額田王

蛇は繁栄と再生のシンボル?

NHKの制作ディレクターだった吉田直哉が以前「文芸春秋」に書いていた記事によれば、蛇の結婚は頭から次第に体を巻いていって尻尾まで達するのに4時間もかかり、結婚が終わって離れ始めるのは平均で何と26時間後という。しかも完全に離れる寸前までオスの器官の一部はメスから離れないとのこと。

吉田は、古代人にとってこの蛇の結婚こそ、旺盛な生命力、繁殖、豊穰のシンボルとして相応しいものだったのではと考察している。さらに蛇は、目玉のレンズまで脱いで捨てる「脱皮」を行う生き物である。新しい身体を得て生まれ変わる様子に、古代人は再生・治療・永遠の命を見ていたとしても不思議ではない。

しめなわと蛇

大神神社 三輪明神 〆柱 by MIXTRIBE;flicker より転載

吉田は「しめなわ」はまさにその蛇の結婚の形であるという。語源的にも「しめ縄」を「しりくめ縄」という古事記にある言葉に関連づけて「しりくめ」とは「尻(を)組(む)」こと、つまり結婚だという主張には非常に説得力がある。志摩地方で動物などの結婚のことを「しりくみ」と言う事実を傍証として挙げる。神の降誕する「依り代」であり、また神事を行う場所の境界をも示すとも言われるしめなわ(注連縄)だが、こうした機能と重複しても問題はないだろう。

三種の神器と蛇

三神器 by Unclemc:ウィキメディアコモンズより転載

さらに、皇室に伝わる三種の神器、鏡と剣と勾玉(まがたま)もヘビ信仰ではないか、と吉田は指摘する。鏡についてはこの下で述べるが、剣もそもそも大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から出てきたものだった。勾玉とは文字通り「曲がった玉(宝石)」であり、この曲線は蛇のとぐろ(渦巻き)の象徴である、と言うのである。

漢字と蛇、西洋医学と蛇

もっとも蛇の生命力に注目したのは日本人だけではなかった。日本語のクラスで漢字を教える際によく字源で説明するが、「池」という漢字は面白くて教えがいがある。この字の旁(さんずいを取った右側)である「也」は、ひらかなの「や」、かたかなの「ヤ」の元になった漢字でもあって大切だが、これは蛇の象形文字なのである。つまり中国人はその昔、蛇が住む水を「池」、蛇がすむ土地を「地」と書いた訳だが、この場合はやはり蛇のもつ生命力、自然の勢いを強調したアニミズムに違いない。

それに「蛇の絡み付いた杖」が、西洋医学のシンボルとなっていることも思い合わせることが出来るだろう。

ところで地鎮祭などで神主さんがお祓いする為に振る「幣(ぬさ)」はこの医学のシンボルにそっくりだ。「ぬさ」はオホモノヌシや「沼のヌシ」など言う時の「ぬし」と関係があるかも知れない。因に柳田国男が「ぬし」と「虹(にじ)」を同語源としたのは有名で、そう言えば虹という漢字が「虫偏」で、字体が蛇に似ていることも偶然ではないだろう。

「かが」と蛇

「かがみ」と蛇

もう一つ気になる和語が「かがみ」である。例えばお正月の「鏡餅」。どうしてこんな名前がついているのだろう、と前から思っていた。

日本のお正月2013_01鏡餅 by midorisyu:flicker より転載

辞典などでは「丸いから円鏡に似ているので」と説明されるが、丸いものなら他にも沢山あるだろうに。これを解く鍵は蛇のことを「山かがし・山かがち」という所にあって、これは古語の「かが」から来ているというのが吉田の主張だ。蛇の目が「かが目」でこれが「かがみ」となったので、自分の姿を写す「鏡」とは別系統の語であるらしい。

古くから知られている池や湖には「鏡が池」とか「蛇が池」などの名前が多いのも「蛇」と「鏡」の近い関係を示している。また、古墳の回りに堀を巡らされ、ここから多くの古鏡が発見されるのは、生命のシンボルのへびを水に返した呪術がなされたからと吉田は見ている。

さて、新年の「しめなわ」と「かがみもち」が仲良く並んだが、この鏡餅、上から見たらへびの目(「蛇の目(じゃのめ)」と同じデザイン)に、そして横から見たらへびがとぐろを巻いている「三輪山」のように見えるのは面白い。やはり新年は年の改まりであるから、古代以来の生命の謳歌のシンボルを祭ったということだろうか。

「かが」と「かがみそ」「かがみ草」「がが芋」「縢(かが)る」

「かが」という和語にはその他にも面白い類語がある。「かがみそ」あるいは「かがみっちょ」とは(蛇によく似た)「とかげ」のことだ。「とかげ」という語自体も「と(戸)+かが」の意味であって「戸の陰にいる」からではないのだろう。

また「かがみ草(ぐさ)」という名前の植物がある。広辞苑によればこれはアサガオの古名。あるいは「白蘞;ビャクレン」(「白蓮」と書く植物とは別物で、ブドウ科の蔓性植物)の別称とある。この二つの植物の共通点は蔓で伸長するということに違いない。そうなら「かがみ草」という名称も、蔓が巻きながら昇っていく様子を蛇を見立てたのものではないだろうか。また「がが芋」という植物名が見られるが、これまた(トウワタ科の)蔓草である。

裁縫をなさる方は、糸や紐を互い違いに編んだり、もとの布と縫いつけた布とが離れない様に補強することを「縢(かが)る」と言うことをご存知だろうが、これは古事記にまで遡れる古語である。

「かが」と「かぐ(香具)」「かがい(歌垣)」「カグ山」「カグレ」「カグラ」「ウカガウ」

さらにこの「巻き付ける」イメージの和語「かが」に古代の大らかなエロスを読むのがもう一人の吉田、国語学者の吉田金彦である。孫引き(「古代日本七不思議」文芸春秋)ながら引用すると、

大和三山の一つの「天の香具山」について「カグ(香具)という語はカガイ(歌垣)と同根に発し、古語では物をさがす、ひそかに偵察して相手を狙い取るの意味。そこから(・・・)目指す相手と契るカガイが出た。天の「カグ」山は古代日本人のどんちゃん騒ぎの場でもあった。春と秋の二回、カグ山に古代人がカグレ集まり、お互いがカグヤ姫になり、カグヤ男になって、カガリ火を焚いて、カグラ(神楽)をしながら相手をウカガウ(窺う)のである

「古代日本七不思議」文芸春秋 p.218

などと述べている。                  

大和三山の中で「天の香具山」にだけ「天の」が付くのは天上界の香具山が地上に「天下った」と考えられたからだが、その前方後円墳的な姿からも、大和の国の国魂(くにたま)をまつる祭壇にふさわしいかったと言う。ここの「かが」が相手と契る、つまり互いに身を巻き付ける行為を意味するなら、それと蛇の「かが」は本来同じものではなかっただろうか。旧約聖書のアダムとイブの話にだって蛇とこの行為との関連は明らかに見えているではないか。また、古事記には「火(ほ)のカガビコ」または「火(ほ)のカグツチ」という名前の神を生んだイザナミノミコトが御陰(みほと)が焼かれて病気になったという下りがあり、ここにも「かが」との結び付きは明らかである。

絡みつく「つる(蔓)」

エロスの語彙としては「かが」に続いて「つる」を挙げたい。絡み付く「蔓」からはさらに「交(つる)む・交(つる)ぶ」が直ちに連想されるが、これが昔から文字通り絡みつく行為のことであることは言うまでもない。また二人一緒にいる「連れ」も同源として良いだろう。スサノヲノミコトが「八岐(やまた)のおろち」を退治した時に尻(尾)から出てきたのは「草薙の剣(つるぎ・つるき)」だが、この「つるぎ」も「つる」に関係あると思える。「き」は「とがって芽生えるもの」である「牙」だろうか。「土や穀物をつきくだく道具」である「杵」だろうか。

蛇は「まく(巻く)」

三番目にはやはり蛇のイメージから「まく(巻く)」である。濁音化しているもののずばり「交接する」意味の古語「まぐ(婚ぐ)」とは果たして無関係だろうか。よく「目合い」或いは「目交い」と漢字表記される巻きつく行為の「まぐわい」だが、「視線を合わす・交わす」というのは表記上の遠慮であって、実はもっと直接的な、体と体の「巻き合い」だったのでは。岩波古語辞典では「まぐわひ」を「マ(目)+クヒ(食)+アヒ(合)」としているが何とも苦しい説明ではないか。目を食べ合ったところで何も始まるものではなかろう。

「から+だ(体)」「からげる(縢げる)」

今、使ったばかりの和語の「体(からだ)」だが、これは明らかに「から+だ」と分解出来る。「だ」は「枝」が「え+だ」である様に一種の接尾辞だ。「梅が枝」が「うめがえ」であるように、本来は「え」だけで「枝」なのである。人間の身体を入れ物として見たものが「から(空・殻)」で、中身を見たものが「み(実・身)」なのだ。「この箱はから(空)だ」とは「中身ではない」から「中身がない」の意味に転じたもの。さて、エロスの語彙の最後はこの「から」としよう。この和語からは、既にお気付きの様に「からむ(絡む)」が派生する。また、先ほど「かがる」という単語で登場した難しい漢字の「縢」だが、これには「かがる」の他に別の訓読みがあって、それが「からげる(縢げる)」である。これまた「から」の派生語だろう。(絡げる、紮げるとも書く)意味は「しばって束ねる」だから、類義語として「かがる」と同じ漢字が使われるわけだ。

かくして、蛇は生命力と再生と財力のシンボルに

これは語源とは直接関係がないが、そもそも蛇にこのようなイメージがあればこそ強精薬として「赤まむしドリンク」などが疲れた日本のお父さん達の人気を集めるのだろう。香港では「龍」と称して蛇を食べるし、沖縄にも各種蛇料理があると聞く。また蛇には金満・財力のイメージもあって、蛇皮や同じ爬虫類のワニ革の財布が重宝されたり、蛇の脱け殻を財布に入れたりする人がいるのも面白い。

DNAの二重らせん構造、左巻きのアミノ酸、渦巻き星雲まで、巻きつく蛇に生命力をみた遠い祖先のご慧眼

今回は「蛇」のイメージで古代人の自然に対する畏怖の気持ちを考えてみた。ミクロの世界ではDNAの「二重らせん構造」や「左巻き」のアミノ酸、マクロの世界では銀河系の「渦巻き星雲」と我々を取り巻くものの何と多くが渦を巻いていることだろうか。巻き付く蛇を生命力のシンボルとして捉えた遠い祖先の慧眼にはただただ脱帽するよりない。

あとがきに代えて

モントリオールにはその中心にマウント・ロイヤル(王の山)という山がある。その名前がモントリオールの語源になっただけあって、街とは切っても切れない関係にあるが、二つある山頂に適度な高低の差があって、我家のある南岸のブロッサール市からシャンプラン橋を車で渡って行くと、まるで巨大な前方後円墳(例えば大阪府堺市の仁徳天皇稜)を横から見ている様な気持ちになる。古墳ではなく自然の山(あるいは丘)で、回りにも堀ではなくセント・ローレンスが流れているのだが、この不思議な地形上の一致を楽しんでいる。遠い古代日本人の「へび信仰」などに思いを馳せながら、ハンドルを握って一路モントリオールの日本語の教室に向かうのも悪くはない。

さて、今度は上空から眺めてみようか、と地図を拡げて驚いた。クロワッサン(三日月パン)の様な形をしたモントリオール島がその向いのラヴァル島をすっぽり抱え込み、「巻いて」いるではないか。あるいは、小さなラヴァル島が大きなモントリオール島に「からんで」いるのである。気がつかぬ内に今回の記事に夢中になってしまったのは、こんなモントリオールの地霊に呪術をかけられてしまったせいに違いない。


Google マップより転載

(1999年6月)

[aside type=”warning”]お詫び
小学三年生の娘が、このブログをお気に入りリンクに入れ、更新を楽しみにしているのを見て、幅広い読者に楽しんでいただけるよう、一部、表現を小学低学年が読んでも差し支えないよう改めました。できるだけ本来の意味を損ねないように工夫はしましたが、力の及ばない点はお許しください。

管理人ちえ蔵
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