第9回 「山の手線」か「山手線」か:所有等を示す「つ・が・の」と言葉の移り変わり

このシリーズ第3回の拙稿「葉と歯って元々同じだったと思う」の中で、相撲取りのシコ名に多い「花・風・山」といった自然物に注目した。それらが「虎・鷹・巨人」などといった野球チームの名と対照的である様子を、日本語と英語の自然観という見地から比較した。

旧サイト:日本語に主語はいらない「第9回 「山の手線」か「山手線」か」(1999年10月執筆、2005年9月3日掲載)より移動

所有等を示す「つ・が・の」

「つ→が→の」の変遷と日本の国技相撲

相撲部屋や相撲力士の名前にはまだまだ面白いことがある。例えば「時津風」の「つ」、「琴が浜」の「が」、「貴ノ花」の「の」などの助詞に目を止めてみよう。これらはいづれも英語の ’s (アポストロフィS)あるいは(語順は逆になるが)”OF”に当たる所有格(あるいは属格)機能を持ち、名詞と名詞を結ぶ連体助詞だ。しかも、「つ・が・の」の3つは、この順番に、時代を追って同じ機能をリレーして来たのだ。それらが相撲の番付に仲良く共存しているのを見るのは楽しい。時代を越えた「国技」の貫祿と言うべきか。

「君が代」と「日の丸」

さて、この夏、上記の「が・の」同居の場面を他にも二回見る機会があった。一回目は言うまでもなく国会における国歌・国旗法案成立をめぐる報道である。「君が代」と「日の丸」と並べられると、この「が・の」が同じ機能を持ったものであることがよく分かる。

「我が国」が「私の国」の意味であるように、「君が代」とは「君の代」であることは言うまでもない。もっとも鎌倉時代までは「が」と「の」が共に名詞と名詞を繋ぐ連体助詞として共存していた。その場合、人を示す語に「が」がつくと卑下を、「の」がつくと尊敬を表すという違いがあったことは、自分の名前の下に「が」を付けられたことに憤慨して「佐太、とこそ言ふべきに、(・・・)なぞわ女め、佐太と言ふべき事か」と怒る男の話が今昔物語と宇治拾遺集の両方に出て来ることでも分かる。

「が」の方は「我が(思ふ)妹」が「我が思ふ(妹)」との異分析によって次第に「名詞+が+名詞」が「名詞+が+動詞」と解釈される様になり、今では「主格を表す格助詞」にまで「出世」したことは、日本語史の方では比較的よく知られた事実である。かくして「が」は「の」と完全に袂を分かって別カテゴリーの助詞となりおおせた。

中央線にあって山手線にないもの

もう一回「が・の」の同居を見たのは東京周辺のJR駅名である。山手線や中央線の地図を広げて、日本に行く学生と話をしていた時、ふと駅の名前で変なことに気がついた。

中央線には「御茶ノ水・市ケ谷・四ツ谷・千駄ケ谷」と「ノ・ケ・ツ」がついている。ここの「ケ」は実は「ガ」と発音することを、日本人なら誰でも知っているだろう。(この「ケ」という表記については後半で語る)つまりここには上記の「が・の・つ」が仲良く共存しているのである。

ところが、である。山手線や近郊の駅名を見ると「宇都宮(うつのみや)・熊谷(くまがや)」と漢字のみで「の・が」が表記されていない。第一「山手線」に「の」が書かれていない。

「の」がない山手線、「の」がある中央線

こういった疑問を解く為にインターネットが使えるとは、何とも便利な世の中になったものである。例えばエキサイト・ジャパン(http://www.excite.co.jp/)というサーチ・エンジンで「鉄道 駅名 歴史 山手線」などというと言葉を投げ入れて「サーチ」を指令。「これで如何でしょう」と示される資料、ファイルは幾千、幾万もあるが、関係のあるそうなものをタイトルから判断して10ほども開けてみると、たちどころに次の事が分かった。(1)山手線を作ったのは日本鉄道という日本最初の私鉄である。この会社は駅名に漢字のみで「の・つ・が」などを使わなかった。東京の山の手(横浜の「山手(やまて)」ではない)を通って赤羽・新宿・渋谷・品川を結ぶ線路が敷設されたのは明治18年である。(2)一方、今の中央線を敷設したのは同じく私鉄の甲武鉄道であったが、こちらは発音に忠実に駅名をつけた。それが今でも表記に残っているということらしい。ところで、日本政府(鉄道院)がこれらを買収して国有鉄道としたのは日露戦争後の明治42年である。赤字で身動きがとれなくなった国鉄が私有化されてJRになったことは知っていたが、実はそのことが国鉄の前の姿に戻ったことであったとは知らなかった。

「の」の字運転した国有鉄道

ついでではないが、読んでいて笑ってしまう箇所もあったのでご紹介しよう。大正8年には、中野を出発して新宿・四ツ谷・東京・品川・渋谷・池袋を経て終点の上野まで電車が走った、とある。上野・神田間が開通するのは大正14年で、ここから現在の環状運転となったのである。

そこで、である。大正8年から14年までの電車の走る様子を上空から眺めてみよう。この路線の電車は「の」の字運転をしていた訳である。「が・の」が気になって調べたらこんなオチがついていて、その日は一日ルンルンで過ごせた。とは言うものの、東京の人以外には分からない知れない。そこで下に簡単な図を描いておくことにしよう。(ただしあくまでも略図で、距離などはいい加減です)

誤記の定着

「个」と「ケ」

それから、次に気になるのは、「市ケ谷」の「ケ」を何故「が」と読むのかという疑問であろう。「ケ」は、実はエラーが定着してしまったケースである。このカタカナは本当は漢字だったのだった。数量を表す「個・箇」の略字とも「介」の俗字とも言われる「个」である。現代中国語の簡体字では「個・箇」は全て「个」に置き代わっている。よく中華料理屋などで注文したものが「餃子両个(リャンク)!」と厨房に大声で伝えられる、あの「ク」である。

例えば「三箇月」という所が「三个月」と書かれたのだが、次第にこの「个」が、それとよく似ているカタカナの「ケ」と混同されたまま、時を経て表記の上で定着してしまったのである。それから「三ケ月」では「か」、「りんご三ケ」では「こ」、果てはここで問題としている「市ケ谷・千駄ケ谷」などの「が」にまで、広くKとGの音の表記に使われるに至っている。(なお、カタカナの「ケ」は「介」から来たもの)「个」の足が左に曲がって「ケ」に誤記されたところは漢字の「千」からカタカナの「チ」が生まれたのにも似ていて面白い。

本当はエラーなのに、時とともに定着してしまってエラーと感じられなくなり、もはやエラーではなくなった例は他にも沢山ある。ご存知のものもあろうが、思いつくままいくつかご紹介しよう。

「X」と「α」

よく日本語で「プラスアルファー(+α)」と言うのを聞く。例えば春闘などで「一万円プラスアルファーで妥結した」などと。ところが、英語で「プラスアルファー(+α)」と言ってもちっとも分かっては貰えない。これは実は「プラスエックス(+X)」が正しい。上の「个」とよく似た誤記の例で、エックス(X)の筆記体をアルファー(α)と思ったものである。この間違いに気がついて直したのは野球の方で、9回の表で勝負が決まった時、ひところは「5α対3」などと書いていたものだが、最近は「5X対3」と書いている。日米野球などの機会に、国際的に恥をかいた経験でもあったのだろうか。

音位転換の定着

語中の音の順番が逆になったまま定着することも多い。日本語のみならず他の言葉でも広く見られる現象だから、言語学の方ではメタセシズ(metathesis)という立派な名前がついている。日本語の訳は「音位転換」。

「あきばはら」と「あきはばら」

せっかく山手線で始まったテーマだから「秋葉原」を例にとろう。「あきはばら」と定着してしまったこの駅名、本来は「あきばはら」だった。勝てば官軍、皆が使えばこっちのものである。「新しい」の読みも「あたらしい」でなくて「あらたしい」だったことは、「気持を新(あら)たにして」という表現からも分かる。おいしくて打つ「舌鼓」は「したづつみ」でなく「したつづみ」だったものを、今では「舌包み」でもあるかの様な発音で定着している。「だらしない」の古語は「しだらなし」だし、「山茶花(さざんか)」も「さんざか」だったことは漢字を見れば分かる。

「TAX」と「TASK」

英語の方の最も有名な例は「TASK」だろう。これは本来「TAX」だった。(なお、ここで問題としているのは表記ではなくて発音なのでご注意を)成程、納税者がその「義務」に悩まされる訳である。特にここカナダにおいてはその程度が甚だしいと思いませんか。

(1999年10月)

この記事が書かれたのは1999年、公開したのは2005年。内容は当時の世相を反映したものとなっています。

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