今回は去る3月20日にモントリオールで亡くなった増本良夫さんのことを書いてみたい。享年83才であった。この連載「日本語ものがたり」は、モントリオールの日本人コミュニティ紙「モントリオール・ブレテン」に書いたエッセーを元に加筆したものである。そもそもブレテンの記事を書くようになったのが、モントリオールの句会で知り合った増本さんからのお勧めによるものであった。もう6年も前の話である。「日本語の先生かい。それじゃ日本語について色々と書いてほしいなあ」がその推薦理由であった。
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目次
俳句と人生の師
増本さんには本当にお世話になった。俳句結社「河内野」のカナダ支部でもある当地の句会、皐月会の支部長の増本さん(俳号・増本無何有)は、遅れて入会した私に「俳句とは何ぞや」の手解きをして下さった。増本さんにとって俳句とは日本語との真剣勝負だったのである。私にとっては、歳時記で日本語の語彙が増え、句作を通じて日本語文法を考える多くのきっかけを得られる望外の契機となった。モントリオールでの言語生活がかくも楽しく豊かになるとは、入会した時は想像すら出来なかった。増本さんなかりせばこの連載もなかった訳である。皐月会発足以来その重鎮として、増本さんは句会でも笑顔を絶やさず、豊かな人生経験のエピソードやご自分の世界観を我々に語って下さった。正に人生の師である。日本での退職後に、お嬢さんの住まれる当地にやってきた。愛らしいお孫さんにも恵まれて増本さんは悠々自適の暮らしを楽しまれておられた様子である。決して人を傷つける様なことは口にされず、余裕綽々、貫禄たっぷりで、お話にはいつも暖かいジョークが挟まれ、句会は終始和やかな雰囲気に包まれたのである。
再発から旅立ちまでの句
4年前であったか、肺癌の診断を受け、両肺を手術なさった。句会もその後しばらく休まれたがその後見事にカムバックされ、我々を感激させた。しかし怖れていた転移の事実を昨年知らされる。それすらも句会で実に淡々と告げられたのが、如何にも増本さんらしい。昨年の増本さんの俳句は、前半の病いとの壮絶な戦いから後半の静かな境地へと達する記録で、涙なしには読めない。
春暁に目覚め命を見つめ居り(4月) 増本無何有(以下5句も)
癌奴癌奴と思ひつつ秋立ちぬ(8月)
露の世に両肺切りて傘寿越え (8月)
声失せて歌も唄えず秋暮れぬ (11月)
いつ迄のいのちか冬の空見上げ(12月)
癌動きそぞろ身にしむ寒さかな(12月)
昨年12月までは句会に来られたがお声が次第にかすれ、それは苦しそうだった。今年になって1月、2月と欠席され「3月からまた出ますよ」と言われたという風の噂も結局空振りとなり、今月の句会もお顔が見られずに気になっていたが、その矢先の訃報であった。
歩く日本文化
実に増本さんこそは「歩く日本文化」であった。特に尺八ではケベッコワのお弟子を何人も持たれ、彼等の上達ぶりを目を細めて喜ばれた。お若い時から本格的に稽古された謡いも何人かに教えておられた。実は私はその出来の悪い弟子の一人であった。楽譜というものに慣れてしまった私などには文字通りの「耳から習う」稽古は辛く「羽衣」を習いに3度お宅に伺っただけで止めてしまった。句会で何度か「来てすぐ止めちゃった人がいたなあ」と茶目っ気たっぷりの冗談に耳の痛い思いをしたが、そんなお声がまだ耳に残っている。
それ、面白いからいつか書いてね
偶然と言うべきか運命と言うべきか、今月の話題は昨年増本さんに「それ、面白いからいつか書いてね」と言われてメモしておいたものなのだった。増本さんは生前モントリオール・ブレテンの私の連載に実にまめにコメントを下さった。反応は「今回のはよく調べたね」から「些かつっこみ不十分だな」や「難しくて分からない」まで様々である。恐らく最も熱心な読者は増本さんであったろう。自分が声を掛けて連載が始まったという責任感のようなものもあったのかも知れない。書きながら私の念頭には常に増本さんの反応の予想があり、それが毎月句会に向かうことを楽しくもしていた。
スカートとシャツ
さて、先月書く予定だった話題とは「スカートとシャツ」である。例によっての日系文化会館での句会の合間の立ち話で、漢字を字源で教えるという話になった。増本さんは御存知の様に尺八や謡いを長く教えておられたから、当然「如何に効果的に教えるか」という話題にはいつも関心を示された。私は字源の例として色々な漢字を挙げたが、どれも増本さんには陳腐で既に知っているものばかり。その中でやっと「あ、成程」と言ってくれたのが「初めまして」の「初」という字についてである。
「初」は「衣と刀」、「布」は「切れ」
この字は御存知の様に「衣へん」と「刀」から出来ている。それが何故「初(はじ)め」や「書き初(ぞ)め」や「初(はつ)日の出」などという「初めて」や「最初」の意味を持つのだろうか。答えは簡単でどんな漢和辞典にも載っているものだ。ここに一枚の布があるとする。それが「衣へん」で表されるものだ。それに鋏(ハサミ)を入れる。それが「刀」だ。その時点が着物作りのはじめであるという意味が漢字「初」に示されている。この様に意味を表す部首を組み合わせた漢字を「会意文字」と言う。切ってある「布」を「切れ」と言うのは文字通りの謂いだ。
「スカートとシャツ」も「切れ」
さて、日本語の語彙や漢字に滅法強い増本さんのことである。これしきのことではちっとも感心して下さらない。「あ、成程」はその後の「いや、実は英語の方にも似た様な話があるんですよ」の方だった。それが「スカートとシャツ」である。
あまりよく知られていないが、実はこの2つの単語は同じ語源を持っている。それは「切る」という意味の語根*sker-である。違いは英語に入った時期だけである。シャツ(shirt)の方は古英語から発達したので本来の*sker-のkがすり減って落ちてしまった。一方、スカート(skirt)の方は、古い形を保った北欧語の方からバイキング時代に英語に借用されたので*sker-のkが残っている。スカートもシャツも、本来はともに一つの単語から別れた「二重語(あるいは姉妹語)」で、その意味は文字通りの「切れ」だった。「二重語/姉妹語」を英語ではdoubletと言う。なお、さらに言えば形容詞の「短い」(short)も「切れ」で同じ語幹から来ており、これを合わせると「三重語」(triplet)となる。これで三姉妹と言うべきか。増本さん笑って「三姉妹とは良かったな」
春光に募る寂しさ
本来は同じ単語が導入された時代によって異なった単語となる例は日本語でもある。「ストライキ・ストライク」や「トラック・トロッコ」などは「二重語/姉妹語」の好例だろう。それにしても増本さんとこんな話がもう楽しめないとは。せっかくの春光にも寂しさが募ってならない。無何有さん、安らかにお眠り下さい。
(2001年4月)