第12回 50音図をよく見ると

9月である。日本語教室にも新入生がどっと入って来て、2001年度の新学期が始まった。秋学期は12月まで。その後は1月から冬学期で、4月に学年が終る。

当地と反対で日本では入学式は4月だった。俳句の歳時記を繰ってみると、「春」の季語として(二月・三月の)「入学・入学試験」があり、続いて(三月末の)「卒業・卒業式」、(四月の)「入学・一年生」と並んでいる。

「桜・入学式・ランドセル」の三点セットは春の風物詩としてすっかり日本人の心に刷り込まれているが、いつの間にかすっかりこちらの生活リズムに慣らされてしまった。カナダ生活も早20年。今さらながらに時の流れの速さには驚かされる。

旧サイト:金谷武洋の『日本語に主語はいらない』第12回「50音図をよく見ると(2001年9月執筆、2005年9月6日公開)から移動

日本語のクラスはじめは「50音図」から

Table hiragana.svg

出典:User:Pmx – Based upon Image:Table hiragana.jpg
作者 :Karine WIDMER.

最初のクラスで毎年「50音図」を見せる。日本語も音声面では世界でも珍しいほど簡単な言葉であることを学生に知って貰いたいし、日本語はやはり「平仮名」から教えたい。

平仮名46字こそは日本語学習の最初の山だろう。大半が平仮名と同じ漢字から作られたカタカナはその半分の時間で充分だ。「り・リ/へ・ヘ/や・ヤ/こ・コ/し・シ/つ・ツ/と・ト/も・モ/せ・セ/う・ウ/ら・ラ」などはお互いに形がそっくりだし、平仮名の前半だけでカタカナになる例に「の・ノ/ふ・フ/そ・ソ/な・ナ/お・オ/き・キ/か・カ/め・メ/ま・マ」、後半がカタカナになる例に「に・ニ/れ・レ/ぬ・ヌ/ほ・ホ」などある。これらだけでもうカタカナは半分以上の24字が済んだ訳だ。平仮名とカタカナ、それに続いておよそ100の漢字を学生達は秋学期中に学んでいく。

日本語の音素(phoneme)は他の言語と比べて遥かに少ない

さて今回はさらに「50音」にまつわるお話を続けてみよう。先ず、日本語の音(正しくは音素/phoneme)が地球上の他の言語と比べて遥かに少ないことを強調したい。日本語の音素は御存知の様に母音が5、子音が13、半子音が2(y.w)の20しかない。厳密にはこれに促音や撥音なども加わるが。

カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)のデータバンクにある499言語の統計によれば、これらの言語の平均音素数は31であるから、その2/3というのは驚く程少数だ。因に西洋語では、英語が45、仏語が36と日本語の約二倍もある。勿論日本語よりも音素の少ない言語もある。ハワイ語がその例で、何と13しかない(母音5、子音8)。

50音図の秘密

次に「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ」という並び方について述べたい。母音「あ・い・う・え・お」の縦の並び方はいいとして、あ行からわ行までの横の(子音の)配列には何か理由があるのか、と学生からよく聞かれる。意外に知られていないが、実は重要な決まりがある。いや「あった」と言うべきか。

あ・か・さ・た・な

これは発音する際に口の中で舌の接する(或いは震える)位置、つまり調音点が奥から前の方に移動していく順だったのだ。その後の発音上の変化で少し崩れている。始めのあ行は母音だから、声帯から出て来る音そのままだが、か行からが子音で、子音は母音の流れをさえぎる。「か」の場合は口の比較的奥の方で息を破裂させる。それが「さ、た」と前へ移動する。「た」と「な」の調音点は同じだが後者では息を鼻に抜かす。「ま」でこれより先は行けない両唇音となる。

は・ま・や・ら・わ

「Ha」は本来「Pa」

さて、ここで問題がある。「な」の前に「は」があって調音点が逆戻りすることだ。これは歴史的な理由で説明出来る。「Ha」の発音は実は本来「Pa」だった。それが「Fa」を経て今の「Ha」となったものだ

この経緯には多くの証拠がある。例えば清音と濁音のペアは前者が無声音、後者が声帯を震わせる有声音だが、調音点は変わらない。「か・が」「た・だ」「さ・ざ」など発音してみるとよく分かる。ところが「は・ば」だけが口の奥と前で全然違う。これは「は」が本来「ぱ」であったからだ。この他にもPがFを経てHとなったことには証拠がある。例えば室町時代のキリシタン文献と言われる貴重な資料を見ると、当時伝道の為に来日したイエズス会のスペイン人やポルトガル人が、今日ハ行で発音される単語をファ行で聞いていたことがローマ字の記録で明瞭なのだ。日本語文法書を残し、秀吉/家康とイエズス会との通訳でもあったロドリゲスは「日本語」をNifongoと表記している。さらに他の証拠では「父親には一度も会わないのに母親には二度会うのは誰か」という当時のクイズも面白い。答えは「唇」で、父「てて/ちち」のT音と母「はは」のF音を比べたものである。

「ら」は日本語になかった?

50音図に戻ろう。「ま行」の後にさらに3行ある。ここでの問題は半子音の「Y」と「W」の間に子音「R」が挟まれていることである。「ら」は本来日本語になかった音かも知れず、今でもラ行で始まる単語は殆ど外来語だ。ロシアを発音しやすい様にオロシアと呼んだ時代もある。子音Rは稀な音として半子音の様な扱いをされたのだろう。現に英語のwire/tireなどのRは殆ど母音として聞こえるし、これらが日本語に入っても「タイア・タイヤ」など母音か半子音である。こうした観察から50音図の最後が「や」「ら」「わ」と並んでいるのも理解出来るが、それにしても、このトリオの中でさえ調音点の「奥より前へ」という原理がきちんと守られていることには驚かされる。

調音点は「奥より前へ」

調音点の「奥より前へ」という原理を教わったのは、知る人ぞ知る信太(しだ)一郎氏の優れたホームページ「言葉の散歩道」紙上である。日本語や朝鮮語に関する情報を満載した素晴らしいサイトであり、日本語に関する伝言板もあるから、関心のある読者には是非お勧めしたい。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/kotoba.htm

ちえ蔵ノート

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6084/kotoba.htm は、現在はリンク切れです。
また、信太一郎氏の「言葉の散歩道」は、「ことば逍遥記」に移動しています。

Hの母音化

P音の調音点が次第に口の前方から奥の方へ後退して行き、しかも現在のハ行の様に、喉の奥で息が遮られることもなくなると、次に来るのはHの母音化である。現在のフランス語(やスペイン語)でHで始まる単語は殆どが母音化してしまい、Hがあってもなくても同じ発音という場合が多い。ケベックワで英語が苦手な場合「I’m hungry」が「I’m angry」に聞こえるのもその為。つまり、日本語教室で学生に「日本語の音素の数はフランス語の約半分しかない」とは言えても、「日本語の音をフランス語は全部備えている」と言うと間違いになるから要注意だ。「はひふへほ」の発音練習をしつこくやっておかないと「鼻の穴」はいつまでたっても「あなのあな」。「ち」や「つ」も本来フランス語には無い音だ。

ちえ蔵ノート

ケベックワ(Québécois)とは、 カナダのケベック州の人口の大多数を占める人たちのことで、フランス語を母語としています。
ケベック州でもモントリオール市など都市部の若い人たちは、自由に二ヶ国語を使いこなす人は少なくありませんが、ケベック州の田舎の方に行くと、意外とフランス語だけしか話さない人や、英語がとっても苦手な人たちもいます。

S音のH音への後退

関西では語中のS音もしばしばH音への「後退」を見せる。敬語の「(食べ)なさる」は「なはる」を経て「はる」と変わった。

M音の後退

これとは別に、日本語でP音に続く調音点の後退かと思われるのがM音である。「山本さん」など「Yawawotoさん」と発音する若者が多いらしい。マラソンのQちゃんこと高橋尚子選手などもインタビューで話す時にM音で唇が閉じていない様子だ。総じて日本人は話す時に口の動きがはっきりしないが、Pに続いてやがてはM音にも唇を使わなくなれば、日本は近く「一億総腹話術」の世となるかも知れない。

あとがきにかえて

サンスクリット語の音韻学

再び50音図に話を戻すと、調音点の位置によって子音に並べるという方法は実は日本人が考えたものではなかった。そのルーツを発見する鍵は、現存する日本最古の50音図(11世紀初め)が真言宗の醍醐寺に残されていることにある。50音図を初めて作ったのは平安末期の真言宗や天台宗の学僧たちで、それは恐らく10世紀と言われている。彼等は当時悉曇(しったん)学と呼ばれた、仏教を支える梵語(サンスクリット語)の音韻学を学んだ。50音図は漢字音表記の補助手段として実用的に用いられたのだろう。初期の50音図がカタカナで書かれているのもその為である。

サンスクリット語の音素は日本語より多いが、共通するものだけを拾っていくと、見事に母音では「アイウエオ」子音では「K,S,T,N,H,M,Y,R,W」の順序になる。これではとても偶然とは言えない。子音に母音を付けて音節として表したものが「カサタナハマヤラワ」という訳だ。インドの古典語であるサンスクリット語のデーヴァナーガリー文字(梵字)の配列図は上記の信太氏のHPで見る事が出来る。

日本語の音韻(中央公論社)

この50音図に関する記事では中央公論社の16巻シリーズ「日本語の世界」の「7:日本語の音韻」も参考になった。

中央公論社の16巻シリーズ「日本語の世界」の「7:日本語の音韻」

写真をクリックすると、(在庫があれば)amazon.jpで本書を購入することができます。

全冊箱入りのこの豪華シリーズはトロントにお住まいの歌人佃朗子さんが「亡くなった主人の蔵書でしたが、もし記事を書く参考になれば・・・」と、他の数十冊の本と共にそっくり下さったものである。戴いた本には多くの書き込みがあって故佃芳郎氏の日本語に対する並々ならぬ関心と造詣の深さが伺える。正に天からの贈り物、宝の山だ。佃氏に生前一度お会いしたかったと思う。奥様の佃朗子さんの心遣いにはただ恐縮するばかりだ。リレーで佃さんと私を繋いで下さった短歌結社「楓美」の富永美代先生と鮎川祥子さん、マイカーで本を運んで下さった矢吹典子さんにも改めて御礼申し上げたい。

(2001年9月)

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コメント

  1. より:

    初めまして。
    「S音のH音への後退」という項目で
    「『そうだ』が『そうや』となるのも同じ傾向である。」
    と書いていらっしゃいますが、関西方言の「や」は「じゃ」(さらにさかのぼると「である」)が変化したというのが定説で、関東方言の「だ」から変化したものではありません。
    訂正をお願いしたく存じます。

    • shugohairanai より:

      彊さま

      興味深いコメントありがとうございます。管理人の私の知識は浅く(というよりほとんどない)、
      彊さまのご指摘に対して、ご返信するのは難しいので、たきさんからの返信をお待ちください。

      また、訂正も、たきさんからの返信を待ってから検討します。

      コメント本当にありがとうございます。
      たきさんも、このようなご指摘は大歓迎ですので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

  2. たき より:

    彊さま
    金谷です。コメントありがとうございました。
    おっしゃる通りですね。

    >「そうだ」が「そうや」となるのも同じ傾向である。

    という文には飛躍がありました。正しくは、
    「である」が関東では「だ」に、関西では「じゃ」と変わって、さらにこの「じゃ」が「や」となったと書くべきところでした。
    混乱をお詫びします。チエ蔵さん、説明が長くなって「S音のH音への後退」の話題から外れますので、この一文の削除をお願いします。